「普通」に囚われる呪いと「普通」である必要がない理由

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自分の幼少時代を思い返してみると幼少期から今まで一貫して「普通ではない」部分があった事に気づきました。

そこで、今回は人は「普通」であるべきかについて書きます。

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人格は生まれながらのもの!?

普通のランドセルを買わなかった幼少期

画像は私が幼稚園の時に伊勢丹のランドセル売り場で一目惚れして小学校6年間使っていたランドセルの実物です。

当時私の通っていた埼玉の公立の小学校では、定番の赤か黒の縦型のランドセルを使ってる人しかいなかったため、まず赤ではなく紺色の上、横型で牛革の使うと味が出るタイプのランドセルを選んだ私に母親は「他の子が使っているのと違うけど大丈夫か」を何度も確認されたのを覚えています。

結果として私は折れず、母親に買ってもらいました。

つまり、この時から「周りがこうだから私もこうしたい」より「私はこれが欲しいからこうしたい」で決めているのです。

私は自分は普通で、親はかなり固定観念に縛られた厳しい人だったと最近まで思っていましたが、今思い返してみるとこのランドセルを選んだ私は変わっていたし、これを許した親はそこまで固定観念に縛られた人ではなかったかもしれません。

でもそれを変だと思った事がなかったのは、私の家族や周りの環境が「普通で在る事」を押し付けず、逆に「これを選んだのはセンスがいい」と褒めてくれるような環境だったからです。

小学生の時から合理主義だった!?

私は学年が上がると進学塾に通っていて放課後忙しかったので、宿題は基本学校内で終わらせて教科書を家に持って帰らないようになりました。

だからランドセルには通学中に聞く音楽プレイヤーと携帯と箸袋しか入れるものが無いのに、空の大きいランドセルで通学するのに無駄を感じ、特に6年の時はランドセルにも飽きて母に買ってもらったお気に入りのショルダーバッグで通学していました。

ランドセル通学をしない事を先生に注意された記憶も、母親に止められた記憶もないのですが、今思えば当時から協調性0で、合理主義で、自分の意思を通す人間だった上に、それを許して自由にさせてくれる環境だった事が想像できます。

宿題が終わらなくて泣いた記憶もない

私はちびまる子ちゃんやサザエさんなどのアニメの描写でよくある「夏休みの宿題が終わらなくて泣いた」記憶もありません。

今でこそ文章を読んだり書くのは好きですが、高校時代はあまり得意ではなく、感想文やスクラップレポートを兄弟に頼んで書いてもらっていました。

それを母も知っていましたが、怒られた事もありません。

苦手な作業を外注してやらなかったのは今の性格そのままです。

大学の卒論も研究室で私だけが計画的に4月からずっとデータを取っていたので、私がそういう計画的に物事を進められる性格だったのかなと思うし、大人になってからも元々の性格はなかなか変わらないのかなと思っています。

「普通」からの抑圧

私の周りで私にそんな事を言う人が1人もいないので驚いたのが、サラリーマン家庭で育った友人が大学時代に就活をせずに起業して、平均以上に稼いでいたにも関わらず、親に「あんたは普通じゃない」と言われたり、「早く就職して落ち着けるといいね」とよく言われると言っていた事です。

だから友人自体は自営業なのに「サラリーマンの人はこうらしい」「普通の人は就活する」「俺らみたいな普通から外れた人間は」のような普通と自分を比較する話をよくするし、「普通」から抑圧されているように私には見えます。

私は「普通はこうだけど自分はこうだな」と頭の中で考える事がないので、それが口に出るのは本人の性格と親や周りの人に「普通」を強要されているせいだと思いました。環境はとても大事。

だから人格は生まれながらのものと育った環境によるもので、統計学である四柱推命や算命学や西洋占星術などの占いで生年月日で性格を言われて当たるのは根拠あるんだろうなと思っています。

皆さんも幼少期の自分の行動を思い浮かべて、今の自分と共通している出来事を思い出してみて下さい。

普通と比較するのではなく自分の基準を持つ

私は新しくやりたい事があればすぐ始め、逆に結果が出ない事はすぐに見切りをつけて辞めるため、「人ってこんなに簡単に仕事を変えてもいいんだと思って衝撃を受けた」と家業を継いでいる人に言われた事があるのですが、全て普通と比較して考えるのではなく「自分が嫌かどうか」を基準に考えています。

以前にも書きましたが私は昔から自分がやりたい事とやりたくない事をそれぞれ箇条書きにした一覧表を作って持っています。

これは自分が何かを決断する時に目先の利益に目が眩んで選択を間違えたり、選択に悩んだ時に選びやすくするためです。

何か新しくする時や辞める時はそのリストを見てその表にどれだけ当てはまるか・当てはまらないかを見て決めるのですが、このリストで意外と重要なのはやりたくない事リストです。

目先のいい部分を見て決断しようとする時に「これは必ずやらない」と決めている事が入っていないかをチェックする事が選択をする上で大事だからです。

よく結婚でも「好きなものが合う人」より「嫌いなものが合う人」の方が長く一緒に居られると言いますが、それと同じでやりたい事だけで擦り合わせるよりやりたくない事が含まれていない事の方が重要なんだと思います。

嫌な事を避けてはいい人生を送れないと言う方もいますが、私は今のご時世、社会人になったら好きな人とだけとつるんで、嫌な事は無理をしてまでする必要はないと思っています。

これが私の「普通」の基準です。

今考えても私はみんなと同じランドセルを使うメリットもなかったので、もし子育てをする事があるとしたら「これが普通だから」と親に言われる環境にしたくないし、自分も何かを考える時に「普通はこうだから自分も…」と考える性格にならなくて良かったと思います。

今後の人生で「これが普通だな」と考えて何かを選択する事もないでしょう。

ちなみによく普通と自分を比較する人は、普通の人に対して劣等感を感じているか、普通と比較する事によって優越感を感じている場合もあるので、そういう意味でもあまり「普通の人」を意識するのは良くないと思います。

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お金を儲ける力を身につけるにあたって、もっとも邪魔になるものは、妬み・嫉みの感情である。
お金持ちの子供がお金持ちになりやすいのは、この感情が少ないことと大きく関係している可能性がある。
もちろん道徳的な視点で「人を妬んではいけない」などと言っているわけではない。妬み感情は自分が持っているチャンスを大幅に狭めてしまう。これが最大の問題なのである。
お金持ちになるためには、人と違うことにチャレンジする必要がある。
(中略)
このときに妬みの感情が大きいと、「人とは違うこと」ができにくくなるのである。
人を妬むということは、妬む相手と同じ土俵に立っていることを意味している。

人と比較したり人を妬むなんて基本無駄だなと引用部分に共感しました。

何年も前に読んだ本ですが面白かったです。

kindle読み放題にも入ってるみたいです。

まとめ

✔️ 普通と比較するのではなく自分の基準を持とう!

✔️ やりたい事よりやりたくない事が沢山含まれていないかに注意!

✔️ 「普通」に囚われすぎるのは呪い!

✔️ そもそも「普通」って何ですか?

NANA #46

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